Vol.13 プラス・エム株式会社 代表取締役 今村辰巳

輝く場所におじゃまします

自らの体と心を試す中で築かれた食材ビジネス:プラス・エムの旅路

いつも明るく陽気でパワーあふれる今村社長に、インタビューさせて頂きました。40年以上続けてきた「食」に関わる仕事のスタートは、ジェットコースターのような刺激的な話が盛りだくさんでした。今回は公開可能な範囲でご紹介させて頂きます!

美味しいものを届ける力に溢れた、エネルギッシュな今村社長の原点とは?ぜひご覧ください。

自分の体を試す日々

 中学1年の終わりくらいに重度の貧血症を発症し、中学2年生から高校3年生までお医者さんにスポーツをしてはいけないと言われていました。
小学4年生からサッカーをやっていたので諦めがつかず、先生に「今すぐ治してくれ」とお願いしたりもしましたが、18歳までは治らないと複数の先生に言われ、しょうがないことなんだとしぶしぶ諦めました。
高校を卒業し大学入学の18歳になって自分の体を試したいと思い、父親の知り合いがやっている運送会社でアルバイトをさせてもらうことになりました。
そこでは夜中3時から朝8時までの5時間、大学生4人で、10tトラック10台の荷物を下ろす重労働をしました。かなり昔ですから10tトラックとは言いながら、10t以上の荷物が大量に乗った状態で、フォークリフトも無いなか、鉄板台車と人力だけで荷下ろししていました。
 自分の体はもう大丈夫なんだと証明(確認)したい思いで必死にやっていましたね。人の体はすごいなと思うのですが、1週間から10日もすればそんな過酷な仕事に慣れるんですよ。両親はもちろん友人たちなど周りからびっくりされることも面白くて続けていました。

アルバイト三昧の日々

食に関わる仕事でいうと始まりは40年前になりますね。
トラックの荷下ろしの仕事が朝8時に終わり、家に帰ってシャワーを浴びて9時から18時まではお好み焼き屋さん、19時から23時までは焼肉屋さんでほぼ毎日アルバイトしていました。
夜中の3時から夜の11時までですから、毎日3時間くらいしか寝てない状態でしたが、そんな生活を2年間続けました。
体を鍛えるというよりは、自分の体を確かめるという目的で始めたアルバイトだったのですが、やり始めてみるとお好み焼き屋さんも焼肉屋さんもとても面白く完全にハマってしまいました。 この飲食店でのアルバイトが食に関わる仕事への始まりですね。

食材卸会社への道

アルバイトしていた飲食店に取引のため出入りしていた食材卸会社の当時営業課長の方から、「もう大学辞めてうちで働かないか?」と誘われました。
アルバイトを3つかけもちしていたので、1ヶ月で25万円ほどの給与をもらっていました。およそ40年前の25万円は結構な高額ですよ。
それを伝えたら「25万出すから、うちに来いよ」と誘ってくれました。
元々は大学卒業したら料理人になりたいと思っていて、ホテルで働く予定もあったんです。結局は大学に進学したのですが、自費で通っていたので両親に辞めたいと伝えたところ快諾してくれたので、大学を辞めて食材卸としての仕事を選びました。会社に入り、トラックドライバーをしながらの営業として、1番最初に自分で売ったのは238円のグラニュー糖1Kgでしたね。今も鮮明に覚えています。
あとびっくりなのは、初任給が実際は半分の12万5000円だったこと。 話が違うじゃ無いですかーと言ったら、お前のために半分は会社で貯金してるんだよと言われたのも今となっては面白い話です。

自分の考えを磨く日々

最初はトラックで食材配達しながら営業をする配送営業としてやっていましたが、配送営業の上には営業だけを専門とするセールスがいて、まずはそのセールスになりたいと思ってがむしゃらにやっていました。
20代のセールス時代は、自分の中で10人ゲームというのを続けてやっていました。
1日に40件ほど配達していたのですが、その中で10人くらいのオーナーやシェフに常日頃疑問に感じていることについて同じ質問、話をして、自分の考え方は正しいのか、自分の考えていることを他の方はどう考えるのかを聞いていくというものです。
ものの見事に「お前はアホか」と、間違っていると言われ続けてましたね。それでへこたれるようなタイプでは無いので、質問する中でものの考え方の根幹をいろいろな方に教えてもらえたと思っています。
そんなことを1年も繰り返していたら、不思議なもので自分の考え方が変わってくるんですよね。自分のことを理解できて、気持ちも大きく変わったし、ものの考え方も良くなったと思います。今の自分があるのは、当時色々教えていただいた先輩方のご指導のおかげだと確信しています。
そんなこともしながら、仕事を一生懸命続けていくことでセールスだけでなく、商品部へ移動し海外への買い付けから内部改革まで、たくさんの人と関わりながら食材の販売に関わることを一通り経験することもできました。

信念を持って営業する

最初に話した内容になりますが、学生時代にスポーツしたらダメだと言われて好きだったサッカーを辞めなくてはいけない、続けられないことが悔しかったんだと思うんですよね。
なので、やり始めたらまず近いゴールを設定して達成するという成功体験を続けることが大事だと。
営業時代、お客さんが求めているものをただ届ければ良いという考え方をしたことは一度もないです。
例えば同じものでも1000円、800円、500円の3つの品質ランクがあったとすると、一番よく売れるし買っていただける500円の商品で良いとしていた方に、800円のものを買ってもらうのがセールスなんですよ。
お客さんのお店だったら500円のものじゃなくて800円の品質でやらないとダメです、なんてことも平気で言ってましたね。
何を偉そうに言ってるんだと言われることもありましたが、お客さんのことを真剣に考えて本当に良いと思ったことはなんと言われようと伝えるようにしていました。
その結果、喜んでもらえることの方が多くて、本当にいいと思ったものを実際に届けられるということがすごく自分にあっていたと思います。

プラス・エムのスタート

今はプラス・エム株式会社として、2人で食材の販売をしており、主力の業務用のBtoBだけでなく個人のBtoCにも力を入れています。
大きな会社だからこそできたこともたくさんありますが、逆に2人体制だからこそできることも多いです。こんな商品があったら面白いと思ったものを全国各地で探したり、数が作れなくても本当に良いものを作っている方たちがいて、その品質の良さ、価値を知って理解してくれた方に直接届けることが楽しいです。
プラス・エムは2018年の10月に立ち上げましたが、1年ほどでコロナが始まってしまい、そこから3年くらいはとてもしんどい思いをしました。
昨年の12月からやっと戻ってきた感じではありますが、本当にコロナの期間は地獄でしたね。そんな期間もあり、より一層BtoCに対しても力を入れるようになりました。

プラス・エムが取り扱いする大人気の「活きオマール海老」

真の価値を届ける

BtoCに関しては自分たちが本当に良いと思ったものだけを厳選して、商品の魅力も含めて届けるようにしています。可能な限り、保存料や着色料などを使用しない安全・安心なものを扱うようにしています。
どこでも買えるものではなく、買える場所は少ない、流通量も少ないけど、本当に美味しいもの、本当に良いものを実際に試してもらって、こだわりや情報も一緒に届けて喜んでもらいたいと思っています。
そこでイベントの開催やホームパーティへの出張料理などで実際に食べてもらえる機会を作るようになりました。活きオマール海老や活きアワビ、ごま油や牛肉の生ハムや牡蠣など様々な食材を調理しご提供することでお客様に楽しんでもらっています。
そこで食べておいしさを知ってもらった方から定期的に注文頂くことも多く、食材の予算はもちろん調理方法、美味しい食べ方まで一緒に届けるようにしています。

輝く場所

プラス・エムの今のやり方が自分たちにとても合っていると思っています。
一発逆転を狙うようなビジネスはやらないので、少しずつですが確実に広がっていくことを感じています。
確かに売上や利益は大切だと思いますが、ちょっとしたミスで信用・信頼をなくすようなことがないように心がけています。昔も今も口コミは絶対的なものだと思うので、「あなたが言うなら間違い無いね」と言って買ってくださる方たちを裏切らないように、正直に楽しみながら細く長くこれからもやっていきたいです。
これからまた、コロナのように世の中が劇的に変わるようなことがあっても、しっかり対応できるようにね。

人とのご縁・繋がりを大事にしています。

こだわりの詰まった美味しい食材を取り扱いされています。私も活きオマール海老は食べた時、その美味しさに本当にびっくりしました。何よりも動く活きた状態で届くオマール海老にびっくりしましたが、美味しい食べ方や調理法も一緒に教えて頂けてまさか自宅で活きたオマール海老が調理できるなんて思ってもいませんでしたが、とても簡単にできました。
個人宅でもレストランなどのまとめての購入でも対応頂けますので、気になる商品があった際はぜひご相談してみてください。

特別な日にぴったりのこだわりの逸品が揃っています!

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