Vol.6 株式会社北海 代表取締役 千田昌彦

輝く場所におじゃまします

歴史と想いを繋ぐ

神戸南京町にお店を構える“皇蘭”。

月50万個の豚まんを工場ですべて手づくりするこだわりで、素材のもつうまみを最大限に引き出し、頑ななまでに本物にこだわった手抜きのない味は、全国的に根強いファンを増やし続けています。

そんな人気店、皇蘭を運営するのは60年以上の歴史を持つ株式会社北海。

今回は、株式会社北海に代表取締役として就任された千田様へ代表就任の想いや仕事に対する考え方などお伺いさせて頂きました。

飲食業界への入口

学生時代、朝の通勤ラッシュでしんどそうな顔をしている働く人たちを見て、これから何かやろうとしている人が朝からそんな顔をして仕事に向かう姿に、何か違うと感じ、「商売ができる」「自分で考えて動ける」そういう仕事がしたいという思いで就職活動をしていました。業種、業態は問わず検討していく中で、“面白そう”と感じ入社を決めた会社が飲食店運営の会社でした。

父親は昭和1桁の生まれということもあり、いわゆる昭和の家でしたから、家にいる頃は包丁もほぼ触った事がなかったですし、就職する際に両親に飲食業界だと伝えると想定外だったようで、とても驚かれました。

駆け抜ける

私が入社した時の会社は、4店舗の飲食店を運営し、5店舗目の出店を検討しているような状況でした。そこから300店舗近くまでお店の出店に携わることになります。

最初の頃は、会社がまだまだ小さかったので、出店の交渉からメニュー作りはもちろんのこと、店舗のデザイン・厨房の設計についてもある程度自分達で考えベースを作る必要がありました。例えば厨房設計の打ち合わせの場合、自分達で機械のサイズを測って図面上で配置を考え、「こんな感じで作りたいです」と伝えることで、やっと対応して頂けるような状況でした。

今は世の中もどんどん便利になっているのでその頃とは仕事の仕方も変わっていると思いますが、私の場合は20代からなんでも関わって、グループ内の別会社も頭で任せてもらっていたりしたので、銀行の交渉とかも含め、今では“なんでも対応できる“自分の力になっていると思います。

コンサルティング事業

株式会社北海で代表に就任する前は、飲食運営の会社を退職後、個人でコンサルティング事業をしていました。

今までの経験を活かし「相談して貰えば何でも揃う」そんなコンサルをしていました。 例えば銀行からお金を借りる為にどうすれば良いのかということも含め、資金繰りの算段、試算表作成、厨房・内装設計、仕入先交渉まで。細かい事で言えば電話の手配や回線手配も基本的に一通り全部対応していました。問題や相談を投げてもらえば職種が違えど、業態が違えど、なんでも対応できるというところで喜んで頂いていました。

株式会社北海との出会い

コンサルティング事業をやっていく中で、知り合いのエージェントから、とある企業が経営を全て任せられる次の社長を探しているという事で、話を頂きました。

その時は、既にコンサルティング事業で多数の顧客を抱えていたということもあり一度お断りしましたが、後日、同じエージェントから話だけでも聞いてほしいと再度連絡を受け、その際に南京町にある皇蘭を運営している会社だと聞きました。
私は兵庫出身で南京町には遊びに行くこともあり、皇蘭はよく知っていました。

だからこそ、私の感覚では皇蘭は老舗でブランド力も強いという認識でしたので、コロナの影響も考えましたが、その会社が傾くというイメージは湧きませんでした。

その頃は関東を中心にコンサルティング事業をしていたので、関西エリアにコンサルする企業が一社増えても大丈夫という考えもあり、お会いしたのが出会いです。

覚悟

お会いする際にはきちんと判断したいと考えていたので、事前にお願いし、税理士の先生にも同席頂き、会社の状況を全て教えてもらいました。その中で、これは外部からコンサルティングするだけでは立て直しが難しいと考えました。

しかし、先ほど言った通り私自身兵庫出身で皇蘭というブランドを知っており、その会社が潰れるのはどうなのかという想いと、過去5年ぐらいの数字を全て見せてもらい様々な内容をヒアリングしていく中で、会社の内情や数字を把握できたので、しっかり入り込んで、私ができる問題点の解決と皇蘭のブランド力があれば立て直せる、立て直す。という想いで決断しました。

変化

元々、お付き合いがあるところから「これ北海さんでなんとか、この金額で作ってよ」と相談を受ければなんでも対応していたので、アイテム数はどんどん増えて、工場の生産性は落ち、金額も安価で協力してしまうので作れば作るほど赤字みたいな商品もありました。

そういった商品も含め、最初380商品くらいあった取扱商品の種類を今は60〜70商品まで減らしました。

既存の取引先へ金額や生産数の変更をお願いに行かないといけない場面が多かったので新しいやつが急に来て何だ!と言われることもありましたが、営業本部長をはじめとして社員に協力してもらいながら何とかやり遂げることができました。

スピード

これから商売やっていくのは未来。というか先のことなので過去を引きずって変化できないと生き残れないと思います。

変化が必要かどうかはお客様や社会が決めるので必要だとされるなら、変化しないといけないですし、そこで自分たちは今までこのやり方でやってきたのだからと変化できないままでいると、どんどんずれてしまいます。

下手したら、変えていこうという意識を持ってやっていても、今の世の中のスピードは早くて追いつかないくらいだと思っています。

働き方

私が働き始めた頃は、パワハラとかセクハラは当たり前のようにある時代でしたが、自分たちがそういう風な世代であっても、経営人であるとするなら、上の人間が変わらなきゃいけないと思っています。個人的な意見からすると、自分がなにか成し遂げたいと思うのであれば他の人より努力しないと無理だとは思います。ただ、昔と1番違うのはそれを決定するのは本人ということです。

私達の世代は、それをある意味強制されていたので、その時は強制とは思っていなかったとしても、夜中まで残ってやらざるを得ない状態も多かったと思います。今でも定時だけど、もう少し仕事をやりたいと思っている人達は居て、だけど会社で残業できないとなると、会社に残る・残らないは別として、家に帰ってからでも多分自分で勉強しているんですよね。今だと、通信系統は昔よりはるかに良い環境になっているので、家帰ってからパソコン1台で何でもできるわけですからやる人は多分やっているんだと思います。

やらない選択もあり、それが全然悪いとは言わないです。私生活を楽しむということも良いと思います。ただ人の上に立つとか、人よりも給料もらえるようになるのは会社を終わってからでも努力をしてスキルとかを身につけていく人たちだと思います。そして、それを選択するのは本人です。

楽しい人生

私の仕事の活力は、基本的に“人生楽しもう”ということ。それだけですね。空いた時間で“なにして遊ぼう”みたいな。3時間かかる仕事も1時間で終わる仕組みを作った方が楽だよねという、究極のズボラです。空いた時間を作り出すことで、また違う遊びが考えられます。遊びと言っても最終的には仕事ですが、子供の悪巧みのような感覚で新しいことにチャレンジする、考えて作り上げていく過程は仕事という感覚ではないです。関わる人たちみんなで、一緒にこんなことやろうぜ、あんなことやろうぜって、年齢も性別も関係なく、千田という人間と悪巧みのように新しいことを始めるの面白いよねってなるのが1番です。実行するには我慢も、挑戦もいりますが、できた時の悪巧みって楽しいんですよ。

輝く場所

私自身は株式会社北海に入って1年ちょっとですから、私より長く勤めてくれている社員の方が会社に愛着あるとは思っています。ただ私も中に入った限りは、携わってくれる方皆さんに関わってよかったと思える会社にしたいです。株式会社北海がそういう風な場所になればいいなと思いますし、そんな会社にします。

ただ、輝ける場所は1箇所である必要はなく、仕事だけでなく家庭でもプライベートでも、全く別の関わる人たちと一緒に輝ける場所があるといいと思います。

仕事とプライベートと分けて考えるより、それぞれの自分自身みたいなものがどこに行っても楽しんで輝けるようであれば、どこでも輝く場所ですね。

人生をより魅力的なものにできるかどうかは自分次第。

自分に甘いところも、ズボラな部分もあって当たり前で、そんな自分をダメだと否定するのではなく、もちろんそのまま堕落してしまう訳でもなく、うまく付き合っていくことが、仕事もプライベートも楽しみ、輝ける一つの方法かもしれない。と、新しい気づきに出会うことができました。

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